【LIBRARY】『ひと アート まち』2009年2月号
ひと アート まち
【2009年 2月号】
「弱がり」の言える場所
もう30年以上も前の1970年代後半の話だ。
毎日井の頭線を利用して渋谷まで通っていたぼくは、いつもひとつ前の神泉駅で降りて歩いて途中にあった「ブラック・ホーク」という、今では伝説のロック喫茶に立ち寄っていた。固くて狭い木の椅子に体を押し込んで珈琲を頼み、カナダのシンガー・ソング・ライターの新作や、ブリティッシュ・トラッドの名盤、お気に入りのスワンプ・ロックの旧作をリクエストしては、毎日朝の1時間半ほどをそこで過ごした。本流からは少しずれてはいるけれど良質で上等な(国内では決して発売されることのない)音楽と出会う事の出来る貴重な場所だった。夜は夜で時間のあるときは、何時間も何時間も、かけられる音楽に真摯に集中して向かい合った。もしかするとあの時が人生でいちばん何かに集中していた時間だったのかも知れない。
あれだけ大きな音でレコードがかかっていたにもかかわらず、とても静謐な空気の流れる場所だった。あまりに静かなのでふと周りを見回すと満席だったりでびっくりしたことが何度もある。また、涙をテーブルにボタボタと流しながら聴き続ける人を見たことも一度や二度ではない。そう言う自分もあそこではよく泣いた。
今思うとあそこは、自分の「弱さ」を出しても許してもらえる場所だった。また、泣いても誰かが隣に居てくれる、泣いても音楽が隣に寄り添うようにあってくれる。このことをしみじみと信頼できる場所にいたとき、人は本当に安心するのだと思う。泣かなくなること、泣けなくなることが「大人になること」や「強くなること」ではない。むしろどうしても泣きたい時に泣けることが、見ず知らずの人とのつながりや関係性を再確認し、人間が人間らしく成長していくことにつながっていくのだと思う。
今、街は「強がる」ことだけで精一杯で、「弱さ」を出してもいい場所が次第になくなっていく。映画館、喫茶店、居酒屋、お寺、そして川辺のベンチさえも・・・。一体僕たちはこれからどこで涙すればいいのだろう。
桐生の末広町商店街の空き店舗の2階に「o-wa Room」という小さなロック・バーができた。今月から自分も「ロック講座」を始めたが、夜遅くからの長時間にも関わらずたくさんの若い人たちが集まって、パブ・ロックやニューヨーク・パンクの知られざる名盤に静かに聞き入ってくれた。もしかすると、ちっぽけでいいから、素直に「弱がり」が言えて居心地がいい、こんな場所がもっともっとあちこちに必要になってくるのだろう。それを直感で知る者が自分で動き始めている。
(掲載;朝日新聞 群馬版 2009年2月13日 )
【2009年 2月号】
「弱がり」の言える場所
もう30年以上も前の1970年代後半の話だ。
毎日井の頭線を利用して渋谷まで通っていたぼくは、いつもひとつ前の神泉駅で降りて歩いて途中にあった「ブラック・ホーク」という、今では伝説のロック喫茶に立ち寄っていた。固くて狭い木の椅子に体を押し込んで珈琲を頼み、カナダのシンガー・ソング・ライターの新作や、ブリティッシュ・トラッドの名盤、お気に入りのスワンプ・ロックの旧作をリクエストしては、毎日朝の1時間半ほどをそこで過ごした。本流からは少しずれてはいるけれど良質で上等な(国内では決して発売されることのない)音楽と出会う事の出来る貴重な場所だった。夜は夜で時間のあるときは、何時間も何時間も、かけられる音楽に真摯に集中して向かい合った。もしかするとあの時が人生でいちばん何かに集中していた時間だったのかも知れない。
あれだけ大きな音でレコードがかかっていたにもかかわらず、とても静謐な空気の流れる場所だった。あまりに静かなのでふと周りを見回すと満席だったりでびっくりしたことが何度もある。また、涙をテーブルにボタボタと流しながら聴き続ける人を見たことも一度や二度ではない。そう言う自分もあそこではよく泣いた。
今思うとあそこは、自分の「弱さ」を出しても許してもらえる場所だった。また、泣いても誰かが隣に居てくれる、泣いても音楽が隣に寄り添うようにあってくれる。このことをしみじみと信頼できる場所にいたとき、人は本当に安心するのだと思う。泣かなくなること、泣けなくなることが「大人になること」や「強くなること」ではない。むしろどうしても泣きたい時に泣けることが、見ず知らずの人とのつながりや関係性を再確認し、人間が人間らしく成長していくことにつながっていくのだと思う。
今、街は「強がる」ことだけで精一杯で、「弱さ」を出してもいい場所が次第になくなっていく。映画館、喫茶店、居酒屋、お寺、そして川辺のベンチさえも・・・。一体僕たちはこれからどこで涙すればいいのだろう。
桐生の末広町商店街の空き店舗の2階に「o-wa Room」という小さなロック・バーができた。今月から自分も「ロック講座」を始めたが、夜遅くからの長時間にも関わらずたくさんの若い人たちが集まって、パブ・ロックやニューヨーク・パンクの知られざる名盤に静かに聞き入ってくれた。もしかすると、ちっぽけでいいから、素直に「弱がり」が言えて居心地がいい、こんな場所がもっともっとあちこちに必要になってくるのだろう。それを直感で知る者が自分で動き始めている。
(掲載;朝日新聞 群馬版 2009年2月13日 )

