【LIBRARY】『ひと アート まち』 2009年3月号
ひと アート まち
迷い子になれる街
携帯などを使った無料オンラインゲームなどで迷路や迷宮ものが流行っているらしい。また、幼児向けの学習ドリルでも迷路が大人気だというし、1980年代、全国のいたる所にできてあっという間になくなっていった「巨大迷路」のブームはすごかったし、現在アメリカではトウモロコシ畑などを使った迷路園の人気が再燃しているらしく、世の中、何故それほどまでに自ら迷いたがる人が多いのかと、すこし不思議に思った。
自転車に乗ったまま前にも進めず後ろのにも戻れずにガクガクと震えながら、ただ不安だけを煽られて、時もが迷い子になてしまったような時代に生きて。そんな時ふと、あてもない旅に出てしまいたい、世間のしがらみから離れたい、清々した冷たい空気にあたりたい、思いもよらない出会いに接してみたい...。とにかくここではないどこかに身を置いてみたいと思うのであろうか。
前橋の中心街を歩いていると、突然寝て覚めた瞬間のように一体自分はどこにいるのかわからなくなってしまうような時がある。これはこの街が長い時間をかけて無秩序な建設と解体を繰り返す中でばらばらになって、人を迷い子にしてしまうようなスキマがあちこちに口を開け始めているからかも知れない。
スキマさえもが意味を持たされ、すぐに消費されてしまうような、新しい街やショッピングモールではなく、これからはそんな「ここではないどこか」や「私ではない誰か」への想像を駆ることのできる、スキマのある旧い街こそが必要となってくるのではないのか、そしてそここそがアートが生まれ息づく場所にもなるのではないのか。結果、それらが自然と結び合って星座のような図となり、この街自身が巨大な美術館にでも生まれ変わっていくのではないのだろうか。
先日、世田谷文学館の「荒井良二展」のイベントで彼と対談をする機会があった。絵本界のノーベル賞「アストリッド•リンドグレーン記念文学賞」の受賞をはじめ、今や世界的な絵本作家の彼だが、彼の作品のどれもが道を迷う事への誘いに満ちあふれている。「寄り道」「道草」「遠回り」「迷い道」、そして「日常ジャーニー」。
そんな良二さんが、現在開館の準備を進めている街の映画館の壁に、前橋が生んだ詩人・萩原朔太郎の「猫町」をテーマに絵を描いくれるそうだ。朔太郎が書いた「猫町」は、どことも知れぬ山間の地に忽然と現れたが、ひょっとするとこの街そのものがもはや「猫町」ではないのだろうか。そして、新しい映画館が迷う者の行き先の街の入口になってくれたならどんなにかステキだろうなって思う。
(掲載;朝日新聞 群馬版 2009年3月13日)

