【LIBRARY】『ひと アート まち』 2008年9月号
ひと アート まち
【2008年9月号】
世界でいちばん住みやすい街
米国の月刊誌「リーダーズ・ダイジェスト」によると「住みやすい都市ランキング」でスウェーデンのストックホルムが一番になったらしい。
飲み水の質や温室効果ガスの放出量、教育環境や収入水準などの項目をまとめたもので、「世界で一番美女の多い街」であるともいうし、それはそれはすてきな街なのだろうけれど、僕にはあまり魅力ある街には思えない。
なんだかきれいすぎて、明るすぎて、退屈な気がする。なぜだろう、少しくらい猥雑(わい・ざつ)で怪しくて暗がりがある場所の方がわくわくしてしまう。
子どもだって本当はそう思うのかもしれない。子どもは9歳くらいになると独立した自分たちだけの世界、大人から管理されない場所を探し始める。そして次第に自宅の中から外へと自治の範囲を広げながら自立していくというが、大人世界にとっては死角となる「秘密の隠れ家」を自然と欲しているのではないかとさえ思う。
マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」以来、子どもたちは秘密の場所づくりに熱中してきた。映画「スタンド・バイ・ミー」も、マンガ「20世紀少年」もそう。木の上の小屋や原っぱの草を結んで作った「ひみつのきち」の中で、ラジオを聞き、マンガや父親のハレンチな本を回し読みし、世界征服の計画を立てた。
ところが今は、防犯や風紀上の理由から親が外遊びを極度に心配し過ぎて、子どもを室内に囲い込みたがる。そのうえ、子どもたちが何をやっているか、やろうとしているかを簡単に見渡せるようにと、学校の用務員室の裏の雑木林を切り倒し、墓場の横の秘密の抜け道を通行止めにし、原っぱや「お化け屋敷」と呼ばれた空き家も有刺鉄線で立ち入り禁止にして、子どもたちの「逃げ込める場所」を絶滅させようとしている。
その代わりに買い与えて押し込もうとしたものが、子ども部屋とテレビゲームとケータイなのだろうか。
変わったのは子どもではなく、大人たちにほかならない。その大人たちが変えてしまった風景の中で、子どもを「小さな消費者」としてとらえ、物を売りつけようとするのもまた大人たちなのである。
そんな大人の経済効率至上の考え方の下では、街の中の「遊んでいる」ものの存在は許しがたいことなのだろう。「遊んでいる」わき水があふれ出る泉も、がけの上の防空壕(・・ごう)の跡もコンクリートで塗り固められてしまった。最後には「遊んでいる」仲間の笑顔も、あの夕方の赤みを増したかけがえのない時間も許しがたいものになってしまうのだろうか。
(掲載;朝日新聞 群馬版 2008年9月12日)
【2008年9月号】
世界でいちばん住みやすい街
米国の月刊誌「リーダーズ・ダイジェスト」によると「住みやすい都市ランキング」でスウェーデンのストックホルムが一番になったらしい。
飲み水の質や温室効果ガスの放出量、教育環境や収入水準などの項目をまとめたもので、「世界で一番美女の多い街」であるともいうし、それはそれはすてきな街なのだろうけれど、僕にはあまり魅力ある街には思えない。
なんだかきれいすぎて、明るすぎて、退屈な気がする。なぜだろう、少しくらい猥雑(わい・ざつ)で怪しくて暗がりがある場所の方がわくわくしてしまう。
子どもだって本当はそう思うのかもしれない。子どもは9歳くらいになると独立した自分たちだけの世界、大人から管理されない場所を探し始める。そして次第に自宅の中から外へと自治の範囲を広げながら自立していくというが、大人世界にとっては死角となる「秘密の隠れ家」を自然と欲しているのではないかとさえ思う。
マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」以来、子どもたちは秘密の場所づくりに熱中してきた。映画「スタンド・バイ・ミー」も、マンガ「20世紀少年」もそう。木の上の小屋や原っぱの草を結んで作った「ひみつのきち」の中で、ラジオを聞き、マンガや父親のハレンチな本を回し読みし、世界征服の計画を立てた。
ところが今は、防犯や風紀上の理由から親が外遊びを極度に心配し過ぎて、子どもを室内に囲い込みたがる。そのうえ、子どもたちが何をやっているか、やろうとしているかを簡単に見渡せるようにと、学校の用務員室の裏の雑木林を切り倒し、墓場の横の秘密の抜け道を通行止めにし、原っぱや「お化け屋敷」と呼ばれた空き家も有刺鉄線で立ち入り禁止にして、子どもたちの「逃げ込める場所」を絶滅させようとしている。
その代わりに買い与えて押し込もうとしたものが、子ども部屋とテレビゲームとケータイなのだろうか。
変わったのは子どもではなく、大人たちにほかならない。その大人たちが変えてしまった風景の中で、子どもを「小さな消費者」としてとらえ、物を売りつけようとするのもまた大人たちなのである。
そんな大人の経済効率至上の考え方の下では、街の中の「遊んでいる」ものの存在は許しがたいことなのだろう。「遊んでいる」わき水があふれ出る泉も、がけの上の防空壕(・・ごう)の跡もコンクリートで塗り固められてしまった。最後には「遊んでいる」仲間の笑顔も、あの夕方の赤みを増したかけがえのない時間も許しがたいものになってしまうのだろうか。
(掲載;朝日新聞 群馬版 2008年9月12日)

