【LIVE】遠藤賢司 純音楽ライブ! オープニング ; 荒井良二。カレーライス付き
遠藤賢司 純音楽ライブ!!
オープニング;荒井良二。カレーライス付き。
マーシャル背負って天空より降臨した伝説のライブから10年。デビュー40周年の、20世紀少年の、ヘリウッドの、ひとり日本武道館の、カレーライスの、東京ワッショイの、不滅の男の、夢よ叫べの、きみにふにゃふにゃの、そして「ボイジャーくん」の遠藤賢司が、フリッツ・アートセンターに帰ってきます !!
そして、なんとオープニングで無敵の絵本作家 荒井良二が仲間たちとステージに立ちます。純音楽家と純絵本作家の奇跡のコラボをお楽しみあれ !!
期日 ◎ 2009年9月12日(土) 開場 17:00 開演 18:00
会場 ◎ フリッツ・アートセンター / 特設舞台
料金 ◎ 前売り 3.000円 当日 3.500円 (限定100席・全席自由)
出演 ◎ 遠藤賢司 / 荒井良二と仲間たち
◎ ライブ終了後。サイン & 握手会
◎ カレーライスの提供は17:00〜18:00まで
※ カレーライス出品;
群馬カレー部:さいとう式・HOUSE MOUSE:女子炊き出し部隊・わんぱく食堂
チケット予約・問い合わせ ◎
フリッツ・アートセンター
TEL; 027-235-8989
FAX; 027-235-8990
E-mail; info@f-ritz.net

遠藤賢司◎えんどうけんじ(通称:エンケン)
[言音一致の純音楽家]
1947年 1月13日茨城県生まれ。
1969年、シングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」(東芝エクスプレス)でデビュー。
生ギターを琵琶のように引掻き鳴らし、魂をふり絞るように自身の内面を歌った世界は、当時のフォークロックシーンにおいて衝撃を与えた。
その後も<はっぴいえんど>を従えたアルバム「niyago」(NMM誌.日本ロック大賞2位)、「満足できるかな」(同.ロック大賞1位・収録曲「カレーライス」がヒット)や、四人囃子と共に録音した日本ロックの名盤「東京ワッショイ」などを発表。
そして近年の代表作「夢よ叫べ」の発売や、無人の武道館にたった一人で挑んだ実録映画『不滅の男/エンケン対日本武道館』の主演・監督...等々...日々新たな伝説と共に、繊細かつ烈しさを増すその歌と演奏は、今年デビュー40周年というも、尚いっそう留まる事を知らず、純音楽道を爆走し続けている。
日本語のロックの礎を築いた草分け的存在である。

【参考;純音楽家エンケン・60年史】
1947年1月13日
茨城県勝田市(現ひたちなか市)にて、警察官の父(哲朗)と元教師の母(千代子)との間に長男として生まれる。
他、妹ふたりの5人家族。
父親の仕事の都合で度々転校を経験する。
小さい頃はラジオの「新諸国物語」に始まり、三橋美智也、島倉千代子、ザ・ピーナッツ、クレージーキャッツ、小林旭などの流行歌や、村のお神楽、大衆演劇、そしてフェリーニ映画や「座頭市」シリーズ、プレスリーからクラッシックまで、様々なジャンルの音楽を聴きながら育った。
1961年(遠賢14歳)
茨城県久慈郡水府村立染和田中学校在籍時に校内で校歌の募集があり、選ばれた女子生徒の詞に木琴で作曲をしたところ見事に採用されて、野球部などの試合の壮行会で全生徒が必ず歌った。これが遠賢の音楽制作の第一歩となる。
1965年(遠賢18歳)
上京。しかし予備校には1日だけしか行かず、たまの定食屋のTVでのプロレス観戦と新宿で映画を観ること、一日一食だけのインスタント焼きそばを糧に、しかしながら親元を離れた喜びと不安を胸に浪人生活を送っていた。
12月、FEN(現AFN)ラジオで、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を耳にする。当初「汚い声だ」と嫌悪するも、3度目には「こいつは凄い奴だ!俺も何か創ってやろう!」と決意。たった2畳の下宿屋の部屋に、すっくと仁王立したという。
1966年(遠賢19歳)
明治学院大学に入学。当時主流だった大学サークルのPPMやブラザーズ・フォーを歌うコーラスグループに参加はしてみたものの、ギターも全く弾けないうえにあまりにもボブ・ディラン唱法に固執したため、当然ながらすぐ拒絶される。
しかし友人である飯島氏から古賀ギターを借り、能登川氏('68年に結成され2度のステージで解散した、幻の初代遠藤賢司バンドにも参加)にコードを教わってギター三昧の日々を過ごす。(この頃、飯島氏の友人である細野晴臣と出会う)
9月、古賀ギターが壊れてしまったため、ヤマハのフォークギターFG-180(18,000円)を月賦で購入。東北学院大学の学園祭で初ステージを経験する。
当時はボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」や「くよくよするなよ」、ドノヴァンの「カラーズ」などをカバーしていた。
1967年(遠賢20歳)
「自分のことを歌った方が早い」と、作詞・作曲を始める。
そしてAmとGのふたつのコードで作った最初の曲が「ほんとだよ」である。
6月、「TEEN-POPS」コンサートで、早川義夫と出会う。
8月、後に「"ですます調"で歌われた最初の日本語ロック」と称される「夜汽車のブルース」を作る。
1968年(遠賢21歳)
数々のフォークコンサートに登場するようになり、初めて出演したテレビやラジオでの演奏などで、次第に遠藤賢司の名は知られていく。
8月、京都山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初参加し、自作曲「君がほしい」「ほんとだよ」「外は雨だよ」を歌う。このとき初めて関西フォークの面々と交流の場を持つ。
フォークキャンプがきっかけとなり、同年東京に事務所を構えた高石音楽事務所(既にジャックスは在籍)に所属する。月給は高田渡と同じ5万円で契約。
そして11月、デビューシングル「ほんとだよ」と「猫が眠ってる」のレコーディングを行う。
1969年(遠賢22歳)
2月、東芝エキスプレスレーベルよりシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」でレコードデビュー。
5月、TBS「ヤング720」に2度目の出演。同日、エイプリル・フールのメンバーとして出演していた細野晴臣と再会。
8月、岐阜県中津川糀の湖畔にて開催された「第1回全日本フォークジャンボリー」に出演。(70年、71年も出演)
1970年(遠賢23歳)
4月、大瀧詠一を除くはっぴいえんどのメンバーが参加した1stアルバム『niyago』を発表。「ニューミュージックマガジン」誌、第2回日本のロック賞・銀賞を受賞。
岡林信康からフォークギター・マーチンD-35を3年月賦の10万円で購入。
8月、「第2回全日本フォークジャンボリー」で、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「ねえ踊ろうよ」等を歌い、ジャンボリー一番の拍手を浴びる。
9月、大学卒業。
11月25日、昼頃TVのニュースで、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したことを知る。その時の無常観を歌にしたのが、彼の代表作「カレーライス」である。
1971年(遠賢24歳)
11月、名盤の誉れ高い2ndアルバム『満足できるかな』を発表。「満足できるかな」「カレーライス」「寝図美よこれが太平洋だ」「ミルク・ティー」等、現在もライブで演奏されることの多い名曲を多数収録した本作は、「ニューミュージックマガジン」誌の第3回日本のロック賞・金賞に輝く。
1972年(遠賢25歳)
12月、タイニー・ティムからベートーベンまで、幅広いジャンルの音楽を吸収し独自に表現したアルバム『嘆きのウクレレ』を発表。特に、フルオーケストラをバックに自作の詞をつけて歌った「歓喜の歌」は話題となる。本作にて初めて自身のエレキギターの演奏を作品に収め、キャラメル・ママがバックで2曲参加している。「プンプンプン」では後に遠藤賢司バンドのメンバーとなる頭脳警察のトシ[コンガ]と友情ある熾烈な闘いを展開する。
1973年(遠賢26歳)
7月、同年4月30日に神田共立講堂で行われたコンサートの模様を収録した初のライブ盤『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』を発表。細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、井上陽水などの豪華演奏陣に加え、愛猫の寝図美もゲストとして登場。
1974年(遠賢27歳)
6月(または5月)、渋谷に紅茶とカレーの店「ワルツ」を開店。お客第一号は、のちの怪優・佐野史郎であった。その後、明治通りに移転しライブイベントを催すなどして、80年12月末まで営業。
7月、底知れぬエンケンの"宇宙観"を描いたアルバム『KENJI』を発表。ジャケットデザインを横尾忠則が担当し、現在でもトータルアルバムとしての評価が高い。
1975年(遠賢28歳)
CBSソニーにて「ケンジ・レーベル」を創立。
9月にシングル「遠い汽笛/グッド・モーニング・MR.サンシャイン」、10月にアルバム『HARD FOLK KENJI』を発売する。
<1970年代後半>
ライブを中心に活動。
1978年(遠賢31歳)
3月頃、明治通り「ワルツ」に遠賢考案・特許「ピラミッドカレー」が登場。それはピラミッド型ごはんの回りをカレーの海が取り囲むというもので、その味と共に未だにカレーファンの間でも語り継がれている。
そしてこの年、海外からのパンクやテクノ音楽、特にセックス・ピストルズとクラフトワークに触発され、日本いや世界ロック史に残る名盤『東京ワッショイ』を、四人囃子の協力を得て制作。
11月には先行シングル「東京ワッショイ/不滅の男」が発売される。
1979年(遠賢32歳)
1月、『東京ワッショイ』を発売。横尾忠則のジャケットに象徴されるように、フォーク、ロック、パンク、テクノ、歌謡曲など、あらゆる種類の音楽を咀嚼し吐き出した、唯一無比の傑出した「エンケン宇宙」を完成。
本作は、「ミュージック・マガジン」誌のアルバムレビューにて99点と評される(北中正和氏による評)。
1980年(遠賢33歳)
5月、前作より更にエンケンの内宇宙を深々と表現した、SMF(SM+SF)超大作『宇宙防衛軍』(四人囃子が参加)を発表。
またこの時期はラジオDJや雑誌への執筆、ビートたけしへの楽曲提供(「俺は絶対テクニシャン」)など、多岐に渡る活動を展開。中には「レイジー 男だけのファンクラブ会長」や、「オムライスクラブ」など、まさに"通好み"な活動も展開。
1982年(遠賢35歳)
『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』に感銘を受け脚本を書いたという長嶺高文監督による映画「ヘリウッド」に主演。音楽も担当する。
1983年(遠賢36歳)
9月、細野晴臣・越美晴らを迎え制作した"3LDKテクノフォーク"、ミニアルバム『オムライス』発表。カウンターテナーのアルフレッド・デラーやクラウス・ノミに触発され、裏声を多用した心温まるエンケン流の環境音楽を奏でている。
1985年(遠賢38歳)
8月、細野晴臣、羽仁未央との写真&エッセイ集「ネコの日」刊行。
<1980年代後半>*LPからCDへと替わる
小説を書くように作ったという『長編ロック』を次々と制作。たったひとりで、エレキギター+マーシャルアンプの組み合わせによる轟音弾き語りを展開するようになる。楽曲は「輪島の瞳」「史上最長寿のロックンローラー」「俺は寂しくなんかない」「ラーメンライスで乾杯」などあり、中でも「輪島の瞳」の演奏時間は、1時間近くに及ぶこともあった。
1988年(遠賢41歳)
3人組のロックバンド「遠藤賢司バンド」を結成。当初のメンバーはハイド(ハロルド)吉見=吉見孝司[B]、ジキル浜田=浜田康史[Ds]だったが、後にベースが湯川トーベン、ドラムが嶋田吉隆になり、91年には遠賢[Vo.G]、トーベン[B]、石塚俊明(トシ)[Ds]のメンバーとなって現在に至る。
1989年(遠賢42歳)
7月、「壱円玉よ永遠なれ!」を自主制作ソノシートにて発売。この年(平成元年)、消費税導入により脚光を浴びることとなった一円玉に捧げられた曲で、発売記念に入場料1円ライブを行い、その収益を国会議事堂に持っていく。
11月、遠賢名義での久々のリリースとなるCDシングル「エンケンのミッチー音頭」を発表。奥田民生、近田春夫、巻上公一、戸川純、野沢直子などの豪華コーラス陣をバックに、遠賢・トーベン・嶋田のエンケンバンドが"女シド・ヴィシャス"(遠賢曰く)=青山ミチの名曲を猛烈カバー。歌詞を一部替えて当時人気のラジオ番組「三宅裕司のヤング・パラダイス」の番組テーマにも使われる。
また、89年頃からCDによる旧作の復刻が本格的に行われるようになり、若い世代もCDを通して遠賢の作品を耳にする機会が増える。
同時に過去のライブ音源の発掘も盛んになり、URC復刻再発シリーズの1枚として、超初期のライブ音源から本人が厳選した『遠藤賢司 黎明期LIVE! 1968-1971』が11月に発売された。
1990年(遠賢43歳)
9月、初のライブビデオ「純音楽」発売。同年4月20日の渋谷クラブクアトロでのライブが収録されたもので、長編ロック「輪島の瞳」は字幕スーパー入りで収録されている。
1991年(遠賢44歳)
元旦、遠藤賢司バンドの2枚組ライブ盤『遠藤賢司バンド大実況録音盤 不滅の男』発表。遠藤賢司バンドの熱くてブッ太い演奏の数々が、お茶の間でも楽しめるようになる。「輪島の瞳」は25分に及ぶバージョンを収録。
6月9日(ロックの日)、「史上最長寿のロックンローラー」を発売。60cm×60cmという、巨大ジャケットにCDシングル1枚を収録したもの。また海外発売用としてB面に同カラオケを収録した30cmLP盤「PHANTOM FROM FUJIYAMA」も同時発売となった。99歳のエレキ爺=「史上最長寿のロックンローラー」のコンセプトは、後に映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」でも生かされている。
1994年(遠賢47歳)
9月、デビュー25周年記念「遠藤賢司大博覧会」を開催。これまで発表してきた作品や楽器、衣装などが展示され、特別ビデオ映像も流された。また、自主制作カセット「俺は寂しくなんかない/東京ワッショイ」(ライブ音源・根本敬画)が発売された。
1996年(遠賢49歳)
12月、ミディよりオリジナル・フル・アルバムとしては16年振りとなる『夢よ叫べ』発表。ライブを通じてファンの間では、おなじみの楽曲の数々がようやく1枚の形となる。特に、タイトル曲でもありアンコールで必ず歌っていた「夢よ叫べ」の収録は、ファンが待ち望んでいたものだった。
ポニーキャニオンからの同時発売で、みうらじゅんプロデュースによる、遠賢トリビュート盤『プログレマン』も発表された。曽我部恵一、フラワーカンパニーズから友部正人、遠藤ミチロウまで、様々な世代のアーティストがエンケンの楽曲をカバーした。
1998年(遠賢51歳)
6月、アルバム『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』発表。弦楽器や生ギターを多用し、友情や男女の愛を歌ったほのぼのとした曲が多い。3枚のオリジナルアルバムに収録されている「頑張れ日本(日本サッカーの応援歌)」は、本作収録のものが一番ライブバージョンに近い。
1999年(遠賢52歳)
2月、渋谷オンエアー・ウエストで、MC5と共に昔から大好きだった、ブルーチアーと対決!
6月、デビュー30周年記念として、生ギターとハーモニカのみで自らの楽曲を一発録りしたセルフカバー・ベスト盤、『エンケンの四畳半ロック』発表。
また、90年代後半より遠藤賢司バンドの活動とは別に、若い世代のミュージシャンとのユニット「エンケン&カレーライス」も活動を続けている。近年のメンバーは、ドラムに元・くるりの森"大左衛門"信行、ギターとベースにフラワーカンパニーズの竹安堅一、グレートマエカワと、勢いのある溌剌4人組である。
2000年(遠賢53歳)
12月、「エンヤートット We are 21st century boys & girls!」発表。来るべき21世紀の初日の出を加賀の潜戸(くけど)に見に行こう!というテーマを元に、16分27秒という、シングルとしては異例の長さのインスト曲(口上あり)。全編に渡って響きわたる、打ち込みによるエンヤートットリズムの音の海に、エンケンひとりでエレキギター、生ギター、キーボード、生ピアノで対決する。
2002年(遠賢55歳)
6月、アルバム『幾つになっても甘かぁネェ!』発表。PANTA、鈴木慶一、遠藤ミチロウらの盟友が"幾つになってもポッポ隊"として、タイトル曲にてコーラス参加。「ネコラ」ではNHK「プロジェクトX」のナレーションで世間の注目を浴びることとなった、田口トモロヲがナレーションを担当。岸野雄一の擬音効果と共に、幻の映画企画「ネコラ」の世界を音で構築した。
2003年(遠賢56歳)
7月、エンケン&カレーライスにて、「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演、特に若い観客の喝采を博す。
2004年(遠賢57歳)
デビュー35周年を記念して、CD2枚組全35曲3,500円・1曲あたり100円ポッキリという、遠賢選出のベスト盤『純音楽一代 遠藤賢司厳選名曲集』発売。デビューシングル「ほんとだよ」から現在まで、レコード会社の枠を超えた、究極の2枚組ベスト盤となる。
2005年(遠賢58歳)
10月、遠賢が、監督・主演・脚本・音楽を努めた映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」(アルタミラピクチャーズ製作)が公開される。無人の日本武道館で繰り広げられた壮大なライブドキュメンタリー。アリーナには、富士山に見立て積み上げられた数百台のアンプ、その麓に鎮座する四畳半、頭上に巨大ミラーボール、ススキのあぜ道には朽ち果てたキャバレーが出現。エンケン曰く「それが一番正しく、一番大変だけど、僕が一番観たい映画を作った」。
公開記念ライブ「遠賢祭り」を、渋谷「アックス」にて開催。出演は、遠藤賢司バンド、エンケン&カレーライス、曽我部恵一バンド、銀杏ボーイズでの、バンド対決!この日の熱狂ライブの模様は、後に発売された映画のDVDの特典映像に一部収録されている。
公開記念盤としてアナログシングル「純音楽魂の唄/踊ろよベイビー」、サントラCD盤『不滅の男 エンケン対日本武道館』も発売となる。
2006年(遠賢59歳)
3月、戌年であるこの年にアルバム『にゃあ!』を発表。遠藤賢司バンドやカレーライス、鈴木茂、上原ユカリ、湯川潮音など、親交の深い面々が参加した。映画でもクライマックスを飾った「ド・素人はスッコンデロォ!」(14分の一発録り)も収録。
映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」のDVDも同日発売となる。
2007年( 1月13日、遠賢60歳の誕生日)人生の一周地点である還暦を迎える。記念盤で、10枚組ボBOX「遠藤賢司実況録音大全 1968~1976」を発売し完売。シングル「惚れた!惚れた!」発売。
2008年(遠賢61歳)
6月、沖縄「うたの日カーニバル」にて4万人の前で歌う。
7月、企画アルバム「にほんのうた 第2集」に、エンケンバンド「黄金虫」で参加。
9月、アルバム「夢よ叫べ」の収録曲「ボイジャー君」が、LPサイズのCD付絵本「ボイジャーくん」となって白泉社より発売。(絵:荒井良二/作:遠藤賢司)
「20世紀少年」の作者・浦沢直樹、画業25周年記念の画集「漫勉」の題字を書く。
2009年(遠賢62歳)
2月1日、デビューシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」を発売してちょうど40年目となる。
レコードデビュー40周年記念アルバムを録音予定。
9月9日。シングル「きみにふにゃふにゃ」(絵:荒井良二)を発売。
9月12日。群馬県前橋市のフリッツ・アートセンターにおいて10年振りのライブを敢行。オープニングは純絵本作家の荒井良二。
*敬称を省略させていただきました。
オープニング;荒井良二。カレーライス付き。
マーシャル背負って天空より降臨した伝説のライブから10年。デビュー40周年の、20世紀少年の、ヘリウッドの、ひとり日本武道館の、カレーライスの、東京ワッショイの、不滅の男の、夢よ叫べの、きみにふにゃふにゃの、そして「ボイジャーくん」の遠藤賢司が、フリッツ・アートセンターに帰ってきます !!
そして、なんとオープニングで無敵の絵本作家 荒井良二が仲間たちとステージに立ちます。純音楽家と純絵本作家の奇跡のコラボをお楽しみあれ !!
期日 ◎ 2009年9月12日(土) 開場 17:00 開演 18:00
会場 ◎ フリッツ・アートセンター / 特設舞台
料金 ◎ 前売り 3.000円 当日 3.500円 (限定100席・全席自由)
出演 ◎ 遠藤賢司 / 荒井良二と仲間たち
◎ ライブ終了後。サイン & 握手会
◎ カレーライスの提供は17:00〜18:00まで
※ カレーライス出品;
群馬カレー部:さいとう式・HOUSE MOUSE:女子炊き出し部隊・わんぱく食堂
チケット予約・問い合わせ ◎
フリッツ・アートセンター
TEL; 027-235-8989
FAX; 027-235-8990
E-mail; info@f-ritz.net

遠藤賢司◎えんどうけんじ(通称:エンケン)
[言音一致の純音楽家]
1947年 1月13日茨城県生まれ。
1969年、シングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」(東芝エクスプレス)でデビュー。
生ギターを琵琶のように引掻き鳴らし、魂をふり絞るように自身の内面を歌った世界は、当時のフォークロックシーンにおいて衝撃を与えた。
その後も<はっぴいえんど>を従えたアルバム「niyago」(NMM誌.日本ロック大賞2位)、「満足できるかな」(同.ロック大賞1位・収録曲「カレーライス」がヒット)や、四人囃子と共に録音した日本ロックの名盤「東京ワッショイ」などを発表。
そして近年の代表作「夢よ叫べ」の発売や、無人の武道館にたった一人で挑んだ実録映画『不滅の男/エンケン対日本武道館』の主演・監督...等々...日々新たな伝説と共に、繊細かつ烈しさを増すその歌と演奏は、今年デビュー40周年というも、尚いっそう留まる事を知らず、純音楽道を爆走し続けている。
日本語のロックの礎を築いた草分け的存在である。

【参考;純音楽家エンケン・60年史】
1947年1月13日
茨城県勝田市(現ひたちなか市)にて、警察官の父(哲朗)と元教師の母(千代子)との間に長男として生まれる。
他、妹ふたりの5人家族。
父親の仕事の都合で度々転校を経験する。
小さい頃はラジオの「新諸国物語」に始まり、三橋美智也、島倉千代子、ザ・ピーナッツ、クレージーキャッツ、小林旭などの流行歌や、村のお神楽、大衆演劇、そしてフェリーニ映画や「座頭市」シリーズ、プレスリーからクラッシックまで、様々なジャンルの音楽を聴きながら育った。
1961年(遠賢14歳)
茨城県久慈郡水府村立染和田中学校在籍時に校内で校歌の募集があり、選ばれた女子生徒の詞に木琴で作曲をしたところ見事に採用されて、野球部などの試合の壮行会で全生徒が必ず歌った。これが遠賢の音楽制作の第一歩となる。
1965年(遠賢18歳)
上京。しかし予備校には1日だけしか行かず、たまの定食屋のTVでのプロレス観戦と新宿で映画を観ること、一日一食だけのインスタント焼きそばを糧に、しかしながら親元を離れた喜びと不安を胸に浪人生活を送っていた。
12月、FEN(現AFN)ラジオで、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を耳にする。当初「汚い声だ」と嫌悪するも、3度目には「こいつは凄い奴だ!俺も何か創ってやろう!」と決意。たった2畳の下宿屋の部屋に、すっくと仁王立したという。
1966年(遠賢19歳)
明治学院大学に入学。当時主流だった大学サークルのPPMやブラザーズ・フォーを歌うコーラスグループに参加はしてみたものの、ギターも全く弾けないうえにあまりにもボブ・ディラン唱法に固執したため、当然ながらすぐ拒絶される。
しかし友人である飯島氏から古賀ギターを借り、能登川氏('68年に結成され2度のステージで解散した、幻の初代遠藤賢司バンドにも参加)にコードを教わってギター三昧の日々を過ごす。(この頃、飯島氏の友人である細野晴臣と出会う)
9月、古賀ギターが壊れてしまったため、ヤマハのフォークギターFG-180(18,000円)を月賦で購入。東北学院大学の学園祭で初ステージを経験する。
当時はボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」や「くよくよするなよ」、ドノヴァンの「カラーズ」などをカバーしていた。
1967年(遠賢20歳)
「自分のことを歌った方が早い」と、作詞・作曲を始める。
そしてAmとGのふたつのコードで作った最初の曲が「ほんとだよ」である。
6月、「TEEN-POPS」コンサートで、早川義夫と出会う。
8月、後に「"ですます調"で歌われた最初の日本語ロック」と称される「夜汽車のブルース」を作る。
1968年(遠賢21歳)
数々のフォークコンサートに登場するようになり、初めて出演したテレビやラジオでの演奏などで、次第に遠藤賢司の名は知られていく。
8月、京都山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初参加し、自作曲「君がほしい」「ほんとだよ」「外は雨だよ」を歌う。このとき初めて関西フォークの面々と交流の場を持つ。
フォークキャンプがきっかけとなり、同年東京に事務所を構えた高石音楽事務所(既にジャックスは在籍)に所属する。月給は高田渡と同じ5万円で契約。
そして11月、デビューシングル「ほんとだよ」と「猫が眠ってる」のレコーディングを行う。
1969年(遠賢22歳)
2月、東芝エキスプレスレーベルよりシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」でレコードデビュー。
5月、TBS「ヤング720」に2度目の出演。同日、エイプリル・フールのメンバーとして出演していた細野晴臣と再会。
8月、岐阜県中津川糀の湖畔にて開催された「第1回全日本フォークジャンボリー」に出演。(70年、71年も出演)
1970年(遠賢23歳)
4月、大瀧詠一を除くはっぴいえんどのメンバーが参加した1stアルバム『niyago』を発表。「ニューミュージックマガジン」誌、第2回日本のロック賞・銀賞を受賞。
岡林信康からフォークギター・マーチンD-35を3年月賦の10万円で購入。
8月、「第2回全日本フォークジャンボリー」で、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「ねえ踊ろうよ」等を歌い、ジャンボリー一番の拍手を浴びる。
9月、大学卒業。
11月25日、昼頃TVのニュースで、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したことを知る。その時の無常観を歌にしたのが、彼の代表作「カレーライス」である。
1971年(遠賢24歳)
11月、名盤の誉れ高い2ndアルバム『満足できるかな』を発表。「満足できるかな」「カレーライス」「寝図美よこれが太平洋だ」「ミルク・ティー」等、現在もライブで演奏されることの多い名曲を多数収録した本作は、「ニューミュージックマガジン」誌の第3回日本のロック賞・金賞に輝く。
1972年(遠賢25歳)
12月、タイニー・ティムからベートーベンまで、幅広いジャンルの音楽を吸収し独自に表現したアルバム『嘆きのウクレレ』を発表。特に、フルオーケストラをバックに自作の詞をつけて歌った「歓喜の歌」は話題となる。本作にて初めて自身のエレキギターの演奏を作品に収め、キャラメル・ママがバックで2曲参加している。「プンプンプン」では後に遠藤賢司バンドのメンバーとなる頭脳警察のトシ[コンガ]と友情ある熾烈な闘いを展開する。
1973年(遠賢26歳)
7月、同年4月30日に神田共立講堂で行われたコンサートの模様を収録した初のライブ盤『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』を発表。細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、井上陽水などの豪華演奏陣に加え、愛猫の寝図美もゲストとして登場。
1974年(遠賢27歳)
6月(または5月)、渋谷に紅茶とカレーの店「ワルツ」を開店。お客第一号は、のちの怪優・佐野史郎であった。その後、明治通りに移転しライブイベントを催すなどして、80年12月末まで営業。
7月、底知れぬエンケンの"宇宙観"を描いたアルバム『KENJI』を発表。ジャケットデザインを横尾忠則が担当し、現在でもトータルアルバムとしての評価が高い。
1975年(遠賢28歳)
CBSソニーにて「ケンジ・レーベル」を創立。
9月にシングル「遠い汽笛/グッド・モーニング・MR.サンシャイン」、10月にアルバム『HARD FOLK KENJI』を発売する。
<1970年代後半>
ライブを中心に活動。
1978年(遠賢31歳)
3月頃、明治通り「ワルツ」に遠賢考案・特許「ピラミッドカレー」が登場。それはピラミッド型ごはんの回りをカレーの海が取り囲むというもので、その味と共に未だにカレーファンの間でも語り継がれている。
そしてこの年、海外からのパンクやテクノ音楽、特にセックス・ピストルズとクラフトワークに触発され、日本いや世界ロック史に残る名盤『東京ワッショイ』を、四人囃子の協力を得て制作。
11月には先行シングル「東京ワッショイ/不滅の男」が発売される。
1979年(遠賢32歳)
1月、『東京ワッショイ』を発売。横尾忠則のジャケットに象徴されるように、フォーク、ロック、パンク、テクノ、歌謡曲など、あらゆる種類の音楽を咀嚼し吐き出した、唯一無比の傑出した「エンケン宇宙」を完成。
本作は、「ミュージック・マガジン」誌のアルバムレビューにて99点と評される(北中正和氏による評)。
1980年(遠賢33歳)
5月、前作より更にエンケンの内宇宙を深々と表現した、SMF(SM+SF)超大作『宇宙防衛軍』(四人囃子が参加)を発表。
またこの時期はラジオDJや雑誌への執筆、ビートたけしへの楽曲提供(「俺は絶対テクニシャン」)など、多岐に渡る活動を展開。中には「レイジー 男だけのファンクラブ会長」や、「オムライスクラブ」など、まさに"通好み"な活動も展開。
1982年(遠賢35歳)
『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』に感銘を受け脚本を書いたという長嶺高文監督による映画「ヘリウッド」に主演。音楽も担当する。
1983年(遠賢36歳)
9月、細野晴臣・越美晴らを迎え制作した"3LDKテクノフォーク"、ミニアルバム『オムライス』発表。カウンターテナーのアルフレッド・デラーやクラウス・ノミに触発され、裏声を多用した心温まるエンケン流の環境音楽を奏でている。
1985年(遠賢38歳)
8月、細野晴臣、羽仁未央との写真&エッセイ集「ネコの日」刊行。
<1980年代後半>*LPからCDへと替わる
小説を書くように作ったという『長編ロック』を次々と制作。たったひとりで、エレキギター+マーシャルアンプの組み合わせによる轟音弾き語りを展開するようになる。楽曲は「輪島の瞳」「史上最長寿のロックンローラー」「俺は寂しくなんかない」「ラーメンライスで乾杯」などあり、中でも「輪島の瞳」の演奏時間は、1時間近くに及ぶこともあった。
1988年(遠賢41歳)
3人組のロックバンド「遠藤賢司バンド」を結成。当初のメンバーはハイド(ハロルド)吉見=吉見孝司[B]、ジキル浜田=浜田康史[Ds]だったが、後にベースが湯川トーベン、ドラムが嶋田吉隆になり、91年には遠賢[Vo.G]、トーベン[B]、石塚俊明(トシ)[Ds]のメンバーとなって現在に至る。
1989年(遠賢42歳)
7月、「壱円玉よ永遠なれ!」を自主制作ソノシートにて発売。この年(平成元年)、消費税導入により脚光を浴びることとなった一円玉に捧げられた曲で、発売記念に入場料1円ライブを行い、その収益を国会議事堂に持っていく。
11月、遠賢名義での久々のリリースとなるCDシングル「エンケンのミッチー音頭」を発表。奥田民生、近田春夫、巻上公一、戸川純、野沢直子などの豪華コーラス陣をバックに、遠賢・トーベン・嶋田のエンケンバンドが"女シド・ヴィシャス"(遠賢曰く)=青山ミチの名曲を猛烈カバー。歌詞を一部替えて当時人気のラジオ番組「三宅裕司のヤング・パラダイス」の番組テーマにも使われる。
また、89年頃からCDによる旧作の復刻が本格的に行われるようになり、若い世代もCDを通して遠賢の作品を耳にする機会が増える。
同時に過去のライブ音源の発掘も盛んになり、URC復刻再発シリーズの1枚として、超初期のライブ音源から本人が厳選した『遠藤賢司 黎明期LIVE! 1968-1971』が11月に発売された。
1990年(遠賢43歳)
9月、初のライブビデオ「純音楽」発売。同年4月20日の渋谷クラブクアトロでのライブが収録されたもので、長編ロック「輪島の瞳」は字幕スーパー入りで収録されている。
1991年(遠賢44歳)
元旦、遠藤賢司バンドの2枚組ライブ盤『遠藤賢司バンド大実況録音盤 不滅の男』発表。遠藤賢司バンドの熱くてブッ太い演奏の数々が、お茶の間でも楽しめるようになる。「輪島の瞳」は25分に及ぶバージョンを収録。
6月9日(ロックの日)、「史上最長寿のロックンローラー」を発売。60cm×60cmという、巨大ジャケットにCDシングル1枚を収録したもの。また海外発売用としてB面に同カラオケを収録した30cmLP盤「PHANTOM FROM FUJIYAMA」も同時発売となった。99歳のエレキ爺=「史上最長寿のロックンローラー」のコンセプトは、後に映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」でも生かされている。
1994年(遠賢47歳)
9月、デビュー25周年記念「遠藤賢司大博覧会」を開催。これまで発表してきた作品や楽器、衣装などが展示され、特別ビデオ映像も流された。また、自主制作カセット「俺は寂しくなんかない/東京ワッショイ」(ライブ音源・根本敬画)が発売された。
1996年(遠賢49歳)
12月、ミディよりオリジナル・フル・アルバムとしては16年振りとなる『夢よ叫べ』発表。ライブを通じてファンの間では、おなじみの楽曲の数々がようやく1枚の形となる。特に、タイトル曲でもありアンコールで必ず歌っていた「夢よ叫べ」の収録は、ファンが待ち望んでいたものだった。
ポニーキャニオンからの同時発売で、みうらじゅんプロデュースによる、遠賢トリビュート盤『プログレマン』も発表された。曽我部恵一、フラワーカンパニーズから友部正人、遠藤ミチロウまで、様々な世代のアーティストがエンケンの楽曲をカバーした。
1998年(遠賢51歳)
6月、アルバム『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』発表。弦楽器や生ギターを多用し、友情や男女の愛を歌ったほのぼのとした曲が多い。3枚のオリジナルアルバムに収録されている「頑張れ日本(日本サッカーの応援歌)」は、本作収録のものが一番ライブバージョンに近い。
1999年(遠賢52歳)
2月、渋谷オンエアー・ウエストで、MC5と共に昔から大好きだった、ブルーチアーと対決!
6月、デビュー30周年記念として、生ギターとハーモニカのみで自らの楽曲を一発録りしたセルフカバー・ベスト盤、『エンケンの四畳半ロック』発表。
また、90年代後半より遠藤賢司バンドの活動とは別に、若い世代のミュージシャンとのユニット「エンケン&カレーライス」も活動を続けている。近年のメンバーは、ドラムに元・くるりの森"大左衛門"信行、ギターとベースにフラワーカンパニーズの竹安堅一、グレートマエカワと、勢いのある溌剌4人組である。
2000年(遠賢53歳)
12月、「エンヤートット We are 21st century boys & girls!」発表。来るべき21世紀の初日の出を加賀の潜戸(くけど)に見に行こう!というテーマを元に、16分27秒という、シングルとしては異例の長さのインスト曲(口上あり)。全編に渡って響きわたる、打ち込みによるエンヤートットリズムの音の海に、エンケンひとりでエレキギター、生ギター、キーボード、生ピアノで対決する。
2002年(遠賢55歳)
6月、アルバム『幾つになっても甘かぁネェ!』発表。PANTA、鈴木慶一、遠藤ミチロウらの盟友が"幾つになってもポッポ隊"として、タイトル曲にてコーラス参加。「ネコラ」ではNHK「プロジェクトX」のナレーションで世間の注目を浴びることとなった、田口トモロヲがナレーションを担当。岸野雄一の擬音効果と共に、幻の映画企画「ネコラ」の世界を音で構築した。
2003年(遠賢56歳)
7月、エンケン&カレーライスにて、「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演、特に若い観客の喝采を博す。
2004年(遠賢57歳)
デビュー35周年を記念して、CD2枚組全35曲3,500円・1曲あたり100円ポッキリという、遠賢選出のベスト盤『純音楽一代 遠藤賢司厳選名曲集』発売。デビューシングル「ほんとだよ」から現在まで、レコード会社の枠を超えた、究極の2枚組ベスト盤となる。
2005年(遠賢58歳)
10月、遠賢が、監督・主演・脚本・音楽を努めた映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」(アルタミラピクチャーズ製作)が公開される。無人の日本武道館で繰り広げられた壮大なライブドキュメンタリー。アリーナには、富士山に見立て積み上げられた数百台のアンプ、その麓に鎮座する四畳半、頭上に巨大ミラーボール、ススキのあぜ道には朽ち果てたキャバレーが出現。エンケン曰く「それが一番正しく、一番大変だけど、僕が一番観たい映画を作った」。
公開記念ライブ「遠賢祭り」を、渋谷「アックス」にて開催。出演は、遠藤賢司バンド、エンケン&カレーライス、曽我部恵一バンド、銀杏ボーイズでの、バンド対決!この日の熱狂ライブの模様は、後に発売された映画のDVDの特典映像に一部収録されている。
公開記念盤としてアナログシングル「純音楽魂の唄/踊ろよベイビー」、サントラCD盤『不滅の男 エンケン対日本武道館』も発売となる。
2006年(遠賢59歳)
3月、戌年であるこの年にアルバム『にゃあ!』を発表。遠藤賢司バンドやカレーライス、鈴木茂、上原ユカリ、湯川潮音など、親交の深い面々が参加した。映画でもクライマックスを飾った「ド・素人はスッコンデロォ!」(14分の一発録り)も収録。
映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」のDVDも同日発売となる。
2007年( 1月13日、遠賢60歳の誕生日)人生の一周地点である還暦を迎える。記念盤で、10枚組ボBOX「遠藤賢司実況録音大全 1968~1976」を発売し完売。シングル「惚れた!惚れた!」発売。
2008年(遠賢61歳)
6月、沖縄「うたの日カーニバル」にて4万人の前で歌う。
7月、企画アルバム「にほんのうた 第2集」に、エンケンバンド「黄金虫」で参加。
9月、アルバム「夢よ叫べ」の収録曲「ボイジャー君」が、LPサイズのCD付絵本「ボイジャーくん」となって白泉社より発売。(絵:荒井良二/作:遠藤賢司)
「20世紀少年」の作者・浦沢直樹、画業25周年記念の画集「漫勉」の題字を書く。
2009年(遠賢62歳)
2月1日、デビューシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」を発売してちょうど40年目となる。
レコードデビュー40周年記念アルバムを録音予定。
9月9日。シングル「きみにふにゃふにゃ」(絵:荒井良二)を発売。
9月12日。群馬県前橋市のフリッツ・アートセンターにおいて10年振りのライブを敢行。オープニングは純絵本作家の荒井良二。
*敬称を省略させていただきました。

